3・変わらない色
人は平等なんかじゃない。
成功する人。上手くいかない人。美人な人。魅力に欠く人。
努力したら夢は叶う? 冗談じゃないよ。
どれだけ頑張っても、あの場所に私は立てない。
いつまで足掻いても、あんなにキラキラした世界で輝く事なんて出来ない。
「おはよう、魅綺ちゃん、駿君。一緒に登校だなんていつの間に…♪」
「ばっ…そんなんじゃないわよ。たまたまよ」
魅綺ちゃんは顔を真っ赤にして否定したけれど、私が魅綺ちゃんのそういう
態度を今まで見た事が無かったのが逆に肯定になっている。
「高島聞いてー。俺がね、この俺様がね、魅綺に付き合おうって言ったのにコ
イツ嫌だって」
泣き真似をする駿君。
そっか…やっぱり駿君はあの“葉山”の駿君で、“常盤”の魅綺ちゃんとそ
うなっちゃうんだ。
だけど魅綺ちゃんは美人だし頭も良いし運動も出来るし…完璧だから、私の
自慢のお友達でもあるし。悪くない。ううん、お祝いしないと。
「嫌だとは…」
「え? じゃあいいのー?」
「…誰がッ!!」
照れ屋で意地っ張りの魅綺ちゃんだから、私はこの企画を薫に提案したんだ。
魅綺ちゃんも駿君も誰にも文句言われない人材だから、アッサリ部員にも許可
された。そうだよ、私が言い出したんだから…――――
「香、練習は着替えた方が良いの?」
「あ…ううん、別に制服のままでいいよー」
「そう…もう始める? まだなら、購買に行ってくるけれど」
「んー…まだみんな集まってないからいいかな。あれ? もう購買開いてたっ
け?」
「えぇ、7時半からやってるわ」
「でも、時間はもう過ぎてるし集まったら始めてるかも」
「わかったわ、先に始めてて」
購買に行く為体育館から出て行く魅綺ちゃんの背中を見送りながら、駿君が
訊ねる。
「昨日も魅綺、購買行ってたよな」
「魅綺ちゃん、アップルジュースが大好きなの。しかも果汁100%のしか飲まな
いのね。購買のはそれをクリアしてるから気に入ってるんだと思うよ。毎日3
回は買いに行ってるよ」
「へぇ…ブラックコーヒーとかストレートティーとか飲んでそうなイメージだ
けどな」
「しかも魅綺ちゃん可愛いんだよ。“アップルジュース”じゃなく“りんごジュー
ス”って言うんだもん」
「はははっ! 戻ってきたらからかってやろー!」
面白そうに笑う駿君。駿君はいつも輝いている。魅綺ちゃんと同じ世界の住
人。当然かな。だって…
「香、みんな揃ったけど」
薫が急に顔を覗き込んでくるから驚いた。心配そうな表情。私今、どんな顔
していた?
「じゃあ、魅綺ちゃんは購買だけど先に練習しようね。みんなー!」
台本片手に元気良く叫んだものの、隣の薫の視線が気になってしょうがなかっ
た。私は大丈夫だよ。自分で望んだ事だから。
それに、まだ…二人は始まっていないんだもん。
「なぁ高島ー?」
「なぁに?」
「昨日さ、初めて魅綺の家見たんだけど、すんげー豪邸な! なんか外からしか
見てないけど、敷地内に屋敷の他に二棟くらい家建ってるよな?」
「あぁ、それは、使用人さんとかのお家と、もう一棟は物置だよ」
「使用人!? 物置!? …あれだけでも一般住宅より遥かにでかいけど」
「ねぇ駿君、魅綺ちゃんの家行った事無かった…?」
「――…え?」
一瞬戸惑いを見せた駿君。
「私、知ってるんだよ。駿君は魅綺ちゃんの頭のリボンも…見覚えあるよね?」
「…何を言ってるのか…俺には…」
「いいよ、魅綺ちゃんには内緒にしておいてあげる。魅綺ちゃんも気付いてるの
かは私は知らないけれど…私からはその話はしないね」
「…高島って…」
「じゃあ、最初のシーンから始めようね。そっち準備いいー?」
私が話を遮ったから、駿君は傍に居た薫に深刻そうに何かを訊ねている。多分、
その質問する相手は私でも薫でも同じだと思う。きっとこう聞いている。
――『高島って、常盤グループの“高島”なのか?』
そして薫は正直に、そうだよって答えるだろう。
「おかえり魅綺ちゃん。早速だけど始められる?」
「えぇ、どのシーン?」
「魅綺ちゃんがいじめられる最初の所」
「OK」
初めての練習で台本も持たずにステージに立つ魅綺ちゃんに駿君が驚いている。
確かに台本を配ったのは昨日。しかも結構な台詞の量。
それでも魅綺ちゃんは、一字一句間違えることなく、シンデレラを見事に演じ
た。普段の無愛想な魅綺ちゃんからは想像も出来ないような、感情表現が豊かな
演技。これが元々の魅綺ちゃんなんだから、私は驚かないけれど。
「すっげ…マジかよ」
「駿君、口開いてるよー?」
「だって、俺も結構覚えたと思ったけれど…あそこまでは」
「駿君も凄いんだよ。ただ、魅綺ちゃんが桁外れに凄いだけ」
私は魅綺ちゃんが努力している所を見た事がない。
昔からそう。
クラスのみんながテスト前に慌てて問題を出し合ったり参考書を開いている中、
魅綺ちゃんだけは余裕の態度だった。だからと言って授業中必死にノートをとっ
ているかと思えば、ただぼんやりと窓の外を見ている。でも先生にあてられたら
見事なまでにお手本のような解答をする。
私の周りにはそういう超人ばかり。
お兄ちゃんも、薫も凄いのに、私はどうしてこんなに何も持っていないんだろ
う? 魅綺ちゃんみたいにスマートに出来ない。だからといって、駿君みたいに
闘争心剥き出しにして頑張れない。
「私だって」
何かを自慢出来るようになりたくて演劇部に入って、部長になって、なのにこ
んなに簡単に魅綺ちゃんに持っていかれるなんて。
自分から提案しておいて、やっぱり私は心が狭いかもしれない。
演劇の事。駿君の事。
傷付くってわかっていながら、どうして私はこんなお節介をしたんだろう。
「…高島?」
「ん? なぁに?」
「……いや、気のせいか」
空元気だけは誰にも負けない。
それくらいしか、“演劇部”は活かせていないのかな?
多分、駿君は魅綺ちゃんを“常盤グループの会長の娘”として見た事はないと
思う。あの時も、今も。
私もそういう風に見たくないし、見ていないつもりだけれど、駿君が絡むとど
うしても嫌な感情が見え隠れしてしまう。でもこんな感情誰に相談出来る?
私はこの学院の理事長の娘で、双子の弟の薫と一緒にA組に在籍している。
勿論情け無用のお父さんは贔屓してくれるわけでもなく、私達は実力で成績を
キープしているのだ。
薫は委員長も務める優等生タイプ。そして落ち着いていて優しくて、さり気な
く人気がある。先生や同性からの支持もある。
それに比べて私ときたら、誰かに頼られるわけでもないし、頭良さそうにも見
えない。英語は好きだから成績も付いてきてるけれど、他の教科は授業中や休み
時間に先生に聞いてやっと理解できる程度。テストで好成績を維持する為に、ど
れだけ見えない部分で頑張っている事か。
そこまでして、この程度のレベル。
なんだか周りの人達に霞んで、私なんて個性のカケラもない気がする。
「香、昼休みになったけれど?」
私の席の横に立つ薫は、お弁当を片手に心配そうな面持ちで私の顔を覗いてい
た。今日はなんだかボーっとしていて午前の授業もろくに頭に残っていない。
そういえば、今朝も同じように薫に覗き込まれていた。
「魅綺ちゃんと駿君、食堂に行くって出て行ったよ。俺らもお弁当、食堂で食べ
よう? 席取っておいてくれるって」
「う、うん…」
いつの間に二人はそんなに仲良しになったの? 昨日まで、魅綺ちゃんは駿君
に無関心だったハズなのに、今朝までに何かあったのかな…?
「…やっぱり、教室で俺と食べようか?」
「ううん、食堂に行く」
私と薫はいつも一緒に居る。いくら双子だからって仲が良過ぎるって笑う人も
居るけれど、私は薫と魅綺ちゃんと、三人で過ごす時間が好きだった。
誰もが魅綺ちゃんと親しくなりたいのに、高嶺の花の彼女に近付けない。そん
な人と幼馴染で気軽に話せるなんて、とても自慢。
これからは、転入早々女子のアイドルとなり、軽い性格から男子とも打ち解け
た王子様な駿君もその仲間に加わる。漫画の主人公にでもなれた気分だし、嬉し
い。単純に友達が増えるのは喜ばしいし、その人が人気者とくれば言う事はない。
だけどそんな二人の傍に居るからこそ、尚更自分がちっぽけな人間に思えて惨
めになる。
「駿君に聞かれたよ…常盤グループの事」
廊下を歩きながら薫が小さく言った。
「うん、なんとなくそうかなって思ったよ」
「正直に答えたけれど…いいよね? 駿君も『葉山』なんだし」
「うん…」
『常盤』と『葉山』。
二つの家は、結びつきがグループ内で最も強い。
難しい話は私にはあまりわからないけれど、魅綺ちゃんのお父さんが纏める常
盤グループは所謂コンツェルンで、その子会社の中でも一番大きいのが駿君のお
父さんの所らしい。ウチも子会社の中では大きいらしいけれど、葉山の後に続く
みたい。家族ぐるみで付き合っているのはウチが一番仲良しだと思うけれど、ど
うやら大人の世界というのはそう単純じゃないようだ。
「駿君は、私の事なんて覚えてないんだ」
「…香」
魅綺ちゃんはあの事件以来、駿君と一切関わっていない。魅綺ちゃんが望んで
避けてきたって紗夜ちゃんが言っていた。
「多分ね、薫も気付いていると思うけれど、魅綺ちゃんのあのリボンと…冬に巻
いてるマフラーって駿君がくれた物だと思うんだ。そして、駿君は…マフラーは
時期的に見ていないと思うけれど、リボンには気付いたんだと思う。昨日魅綺ちゃ
んの家を見たって言ってた。それで何か思い出したのもあるんじゃないかな」
「そうだね、そんな感じはする」
「あの頃よく、駿君と遊んでたよね。別に、自己紹介とかはちゃんとしてなかっ
たけれど…魅綺ちゃん家でパーティーがあったら、毎回顔を合わせてたし、挨拶
で忙しい魅綺ちゃんよりも子会社同士私達との方が立場的によく話したのに…」
なのにどうしてたった一度出逢っただけの二人が、そうなるんだろう?
「…ご、ごめん、今の聞かなかった事にして…?」
つい本音がこぼれてしまった事を後悔して薫を見ると、いつもの優しい笑顔で
頷いてくれた。
私は一つ深呼吸をして、食堂で歓談する二人の元に駆け寄った。
自分を偽るのは、難しいけれど、簡単。
「『ごめんなさい、王子様…私はもう帰らなければなりません』」
「えっと…『待ってくれ! 私は、姫…あなたに…』……『あなたに恋を――』」
「『私は本当は王子様とこのように一緒に踊れる身分ではございません。今夜限
りの魔法…神様からのプレゼントなんです。こうしてお話できた事、それだけで
充分なのです』」
放課後の体育館。
ステージの上には、舞踏会のシーンだから沢山の部員が立っている。だけどやっ
ぱり、メインだからという理由だけではなく、魅綺ちゃんと駿君には際立って華
がある。
「『いけない、もう12時の鐘が…! 王子様、離して下さい…』」
「…『行かないでくれ!! …あっ!!』」
魅綺ちゃんが走り去り、残されたガラスの靴を駿君が拾う。
「はーい、いいよぉー。ちょっと休憩しよー」
練習を始めて二週間が過ぎた。
魅綺ちゃんは最初から完璧にこなしてくれたけれど、駿君も演劇初心者の割に
は殆どスムーズに進めてくれる。流石といったところ。
「私、購買行ってくる」
「あ、俺も『りんごジュース』買いに行こうかなぁ〜」
駿君にからかわれ、魅綺ちゃんは巫山戯た駿君を睨みつけながらも購買に向か
う歩調を合わせている。なんだかんだ本当は仲良しなんだと思う。
と、いうか…最近、日に日に仲良しになっているみたいだ。
「部長〜」
一年生が小声で呼びかけてきた。
「常盤先輩と葉山先輩ってお似合いですよね〜。付き合ってるんですか?」
「あ、それ私も気になってたんですよ! 部長、あの二人と仲良いから何か知っ
てるんじゃないですか?」
無邪気に聞いてくる一年生達。二人とも人気者同士で、だからこそ逆に、自分
達が付き合う云々よりもその二人が付き合っていた方が絵になるからと喜ぶんだ
ろう。二人にはファンクラブもあると聞く。ファンクラブの人達も、二人が付き
合うのを望んでいるようだ。変な虫が付くよりは…といったところだろう。
「どうなのかなー? でも、駿君は告白したって言ってたよ」
「きゃ〜ッ!! やっぱり常盤先輩の魅力には流石の葉山先輩も…ッ」
「常盤先輩も、いつもの感じと違って葉山先輩には優しいように見えますよね!」
「あはは、そうだね〜。魅綺ちゃんがあんな風に相手にするのは初めてだよ」
「やっぱり〜! 早く恋人同士になって欲しいなぁ〜」
騒ぐ彼女達に、私は共感して、だけど共感出来なかった。
まだ迷ってる自分がいる。
「でも、駿君の事好きなコいなかったっけ? いいの?」
「あ、はい、私葉山先輩の事好きです。でも、アイドル的存在というか…あそこま
でカッコイイと、もう自分が付き合いたいというよりは、テレビタレントに憧れる
感じで。常盤先輩なら絶対自分が敵わない相手だから諦めもつくというか。むしろ
お似合いなので見ていて美しいなぁって」
「そっか、確かに二人はお似合いだもんね」
「でも、部長と薫先輩も憧れのカップルです」
「やだなー、薫は弟だよ〜」
「だけど! そういう恋人的な感じじゃなく、でも二人のやり取りというか、二人
を包む空気が素敵です」
「あはは、ありがとう。それは薫にも伝えておくよ」
美しきかな家族愛。
うん、そうだよね。私は魅綺ちゃん達みたいに憧れてもらえる存在なんかじゃな
い。だけど、そういう褒められ方も悪くはない。
「高島〜! 魅綺が俺の鼻にストロー挿しやがった!!」
賑やかに駿君達が戻ってきた。涙目の駿君は、魅綺ちゃんの真似をして買ったアッ
プルジュースを片手に私の元へ泣きついてきた。
「五月蝿い男ね、それくらいで。香、相手にしなくてもいいわよ、そんなの」
続いて魅綺ちゃんもこっちへ。魅綺ちゃんはどうやらジュースを飲み終えたらし
い。微かにアップルの香りがする。
「駿君、駿君…そんな風にいたずらする魅綺ちゃんなんて私でさえ見た事ないよ!
それは脈アリなんじゃないかなぁ〜♪」
「マジで!? 魅綺、そうだったのか…じゃあ今すぐ言うが良い!『駿、貴方の事が
好きで好きでしょうがないわ〜ん』って」
「誰がそんな事言いますかッ!! 香も変な事言わないの」
「えへへ」
「ほらー、部長の香まで巫山戯ないよー。そろそろ練習始めないと」
薫が穏やかに注意したから、みんな素直にいう事をきいた。
魅綺ちゃんがあんなに楽しそうに悪ふざけに乗るなんて、何年振りだろう?
家に帰ると、紗夜ちゃんが来ていた。
「お邪魔しています、香さん、薫さん」
「紗夜ちゃん来てたんだ〜。こんばんは」
「ゆっくりしていってね、紗夜子ちゃん」
紗夜ちゃんは魅綺ちゃんの妹で、私達のいっこ下。お兄ちゃんの婚約者だから、
ただの幼馴染である魅綺ちゃんより、家族ぐるみで仲良くしている。
「おかえり二人共。もうご飯出来るよ。紗夜子ちゃん、こっち手伝ってくれる?」
「はい、馨さん」
お父さんもお母さんも仕事で遅いから、割とお兄ちゃんが夕食の準備をしてくれ
る。お兄ちゃんは私達より七つも年上だから、保護者的存在で頼りになるんだ。
穏やかなお兄ちゃんとおっとりした紗夜ちゃんは、かなりの歳の差だけどよくお
似合いだと思う。
「香、手洗ったらお箸並べてー」
「はい、ケイさん♪」
「真似しなーい」
「はぁ〜い」
紗夜ちゃんが来る日は、ご飯の時間がいつもより賑やかになるから好きだ。
「そういえば香さん、お姉ちゃんが劇のヒロインを演じるそうですね。馨さんから
伺いましたよ。しかも相手役はあの駿さんだそうで…」
「そうなんだよ〜。毎日登下校も一緒みたいだし、すごく仲良しなんだよ」
「まぁ、素敵ですね。お姉ちゃんは駿さんの事は…?」
「んー、気付いてるのかどうかは聞いてないけど、気に入ってるみたい」
「よく香と駿君と一緒に魅綺ちゃんも巫山戯てるんだよ」
「薫さんは?」
「俺まで一緒になって巫山戯たら誰が止めるの」
「うふふ、そうですよね。それって、部外者も観に行っていいんですか?」
どうやら紗夜ちゃんは魅綺ちゃんの晴れ姿と、『例の』駿君を見たいらしい。
「うん、他校の生徒も観に来れるし、保護者とか、色んな人が来るよ! 紗夜ちゃ
んもお兄ちゃんと来たらいいよー、ね、薫?」
「うん。土曜日だから紗夜子ちゃん学校休みだよね? 兄さんは仕事…?」
お兄ちゃんは、少し考えてから答えた。
「そうだなぁ…有給も余ってるし、折角だから観に行くよ。香達も出るんだろう?」
「私は部長だから裏で指示出さなきゃいけないけど、薫はちょこっと出るよね」
「あら、香さんが出られないのは残念です…薫さんは何の役なんですか?」
「はは、俺は舞踏会のシーンで人数合わせのエキストラみたいなもんだよ」
本当は薫も裏方でって言っていたんだけれど、三年生が一人も居ないから部員が
足りなくて、薫にもステージに立ってもらうことにしたのだ。やっぱり舞踏会は人
がある程度いないと形にならない。
「でも、すごいです。私には演技なんてとても…」
紗夜ちゃんは、きっと喜んでくれるだろう。
魅綺ちゃんと駿君の舞台。
「香…」
公演前日、魅綺ちゃんは練習後に私の元へやってきた。
「どうしたの? 今日は駿君と帰らないの?」
「…馬鹿」
「……ん? どうしたの?」
魅綺ちゃんの様子はいつもと違った。なんだか、普段より踏み込みにくいオーラ。
「明日が期限なのに…提出できない課題があるの…」
「魅綺ちゃんに、出来ない事なんてなかったんじゃないの?」
「当たり前よ。無いに決まってるわ! …無い筈なのに、どうしても答えが出せな
いの」
多分、それは勉強の事じゃない。駿君との事だろう。
「期限までに出せないと、どうなるの?」
「不合格…かな?」
「…魅綺ちゃんは……――ずるいと思う」
「……え?」
「答えは出ているんでしょう? でも、間違えたくないから提出する前に答え合わ
せをしておきたいんだよ。私にはその答えは教えられない」
「香…?」
「合格者は一名だけかもしれないけれど、志望者は一名とは限らないんだよ。なの
に合格確実の本人と答え合わせなんて出来ない!」
言い放ってから、その意味を捉えた魅綺ちゃんの私を見る顔に、我に返った。
言ってしまった。言うつもりなんて、なかったのに。
「…悪かったわ…そうよね」
「あ…ご、ごめ…」
「謝るのは、自分が本当に悪い時だけにしなさい。今回は…私が悪いわ」
魅綺ちゃんはそして、小さくごめんと呟いた。
「…答えは出ているの。でも、私…今までそういう事から避けて生きてきたから…
だから、香に聞いてしまった。香の気持ちも知らずに」
ほら。
だから魅綺ちゃんは好かれるんだよ。
…魅綺ちゃんが嫌な人だったら、もっと私も頑張れるのに。
「もう、私達と一緒に居たくない?」
「そんな訳ないよー。私は魅綺ちゃんが駿君と上手くいけばいいと思ってたよ。だ
からこういうキャスティングにしたんだもん。駿君は…あの時の彼でしょう?」
沢山魅力的な人に言い寄られてきたのに、魅綺ちゃんはずっと遠い昔の彼を想っ
てきた。そんなに一途な恋、応援したくなるに決まっている。
「私は…駿君も好きだけど、魅綺ちゃんもすっごく好きだから。だから頑張って」
「香…あ、ありがと…私も香は……嫌いじゃないわ」
じゃあね、と立ち去る時の魅綺ちゃんの横顔が、なんだか照れた表情だったから
私もはにかんだ。
夜、紗夜ちゃんが来ていていつものように皆で食事をした。
「今夜は泊まっていくんでしょう?」
「あ、はい。明日は本番ですしね…お世話になります」
相変わらずの丁寧な返事。やっぱり魅綺ちゃんとは正反対。
「あのね、今日私、魅綺ちゃんに酷いこと言っちゃった…」
「え…?」
私は、今日の魅綺ちゃんとの会話を皆に話した。薫もお兄ちゃんも、きっと前々
から私の気持ちは知っていた筈だから、ちょっと複雑そうに聞いていた。
そして紗夜ちゃんは、とても心苦しそうな顔をしていた。
「香さんは…大丈夫、ですか?」
「私は、やっぱり寂しいよ。寂しいけれど、嬉しいのもホントなんだ。自分でもよ
くわかんないんだよ。あんまり…得意じゃないんだ」
恋は。
これなら、嫌いな数学で難しい方程式を解く方がよっぽど簡単。
国語が苦手なのと似ている気がする。だけどやっぱりちょっと違う。国語のテス
トは答えが曖昧だけれど、それでも作者の意図するものが用意されている。
だけど恋愛は、作者も居ないから決まった答えも勿論無い。
私はあまり応用は利かないんだ。
「ですが、香さんにとってはそれが答えなんですよね。答えを出すのはとても勇気
が要ります…立派だと思います」
「うん、ありがとう。私頑張ったよね」
紗夜ちゃんは笑顔で頷いてくれたけれど、薫もお兄ちゃんも私を気遣ってか複雑
な表情のままだった。
「ごちそうさまでした〜。じゃあ、私先にお風呂入るね!」
逃げるように食卓を去ったのは、やっぱりちょっと切なかったから。
だけどお風呂に入って体を休めたら、なんだか心も少しだけ軽くなった気がした。
私はそれでも魅綺ちゃんが好きで、駿君と秤にかけたら魅綺ちゃんとの友情の方が
少しだけ重たかった。大好きな魅綺ちゃんの運命の人が現れたのなら、それは祝福
するべきだと思うし、そんな風に私にもいつか王子様は現れるんだろうなって考え
たら、結構楽しみになってきた。
「香、開けるよ?」
お風呂上りに部屋でテレビを観ながらゴロゴロしていると、薫が来た。薫もお風
呂に入った後らしく、髪の毛が濡れている。
「…本心なの?」
主語もないまま薫は訊ねた。
「薫が心配してくれるのもわかるけれど、自分でもビックリするほど案外大丈夫だっ
たんだ。ホントのホントにそう思ったんだよ」
「そっか…なら、いいんだ。香、魅綺ちゃんとの関係崩れなくて良かったね」
「うん、ありがとう」
私がにっこり笑うと、薫も安心したのか一緒に笑ってくれた。少しの間この部屋
で二人でテレビを観て、いつもより早めに消灯した。
今日はいよいよ劇も本番。
お兄ちゃんと紗夜ちゃんは朝食の後片付けをしてからのんびり来ると言っていた。
私と薫は、朝練はないけれど舞台の準備とか色々あるからいつもより早めに登校し
た。体育館には部員の皆、そして、魅綺ちゃんと駿君も揃っていた。
「魅綺ちゃんと駿君はメインとは言えヘルプなんだし、準備はいいよって言ったの
にー」
「そうは言っても…やっぱり悪いわ。手伝うわよ」
「そうそう、俺だって細かいのはわかんねーけど大道具運んだり力仕事なら手伝え
るしさ」
「ありがとう。じゃあ…」
魅綺ちゃんと駿君の様子を見ると、まだ魅綺ちゃんの言う課題の提出は済んでい
ないようだ。今日が締め切りと言っていたけれど…――――
魅綺ちゃんの表情が少しだけ強張っているのは、多分、劇に緊張しているんじゃ
なく駿君の事だと思う。
また初めて見る魅綺ちゃんの顔。
こうやってこれから駿君によって魅綺ちゃんの色んな感情が取り戻せるなら、そ
れもいいなと思った。
本番まで、あと二時間半。
今日、何かが皆の中で変わるんだ。